HSPおじさんの日常

アラフィフ男の生き辛い日常や転職活動の記録が中心

丸の内の街並みと過去のシステムエンジニア時代

今日は久しぶりに丸の内に行きました。

息子の嫁さんの妹さんが無事に出産されたということで、

出産祝いを中心に展開している「MARLMARL」というお店に出産祝いを

買うためです。

妻がこういうリサーチが得意なので、既に買う商品は決まっていました。

www.marlmarl.com

買い物が早く終わったので丸の内仲通りを散歩していたのですが、

やはりここは落ち着く街ですね。

システムエンジニアをやっていた頃の20代後半~30代前半は、お客様が三菱系列の会社であったために常駐してシステム導入を行っていましたので懐かしさもあります。

あの時代は納期遅れの危機が頻発しており、終電近くまで毎日残業したり休日出社をしたりで大変でしたね。

残業代が多いのに使う時間がないのでだいぶお金は貯まりましたけども。

その当時は自社に帰社すると会社の先輩や同期から顔色の悪さを指摘されたりもしていました。

若いからできた仕事だったのでしょうね。

丸の内以外にも様々な会社に常駐していましたが、丸の内時代が長かったので一番思い出深いですね。

一緒に働いていたメンバーは半数以上は同年代で長時間を共に過ごしていたことで仲が良くなり今でもたまに飲みに行くこともあります。

また、プロジェクトマネージャの方が8~10歳上の方で気さくな方でしたので、

途中からはサブリーダー的な立場で仕事をしていましたね。

私は2番手の立場でリーダーの指示を受けた上で、

その指示を遂行するためにメンバーを管理したり指導することが性に合っていたと思います。

その後はプロジェクトマネージャに抜擢されて仕事を行うのですが、

30代半ば頃に休職してしまい、知財の仕事に転向することになるのです。

 

やはり責任が重くなると、心配性な性格もあり起こってない最悪の事態を想像して、

気持ちが沈んだりすることが多くなり、精神的にダウンしてしまいましたね。

その後復職するのですが、周囲の目が気になってしまい退職を選択してしまいました。

産業医の面談とかして復職プログラムを経て職場に戻るのですが、

現場に戻ると同僚とかの態度が依然と少し違うこととかを敏感に感じ取って、

ネガティブな方向へと膨らましてしまいダメでしたね。

 

復職プログラムは全ての休職者へと適用可能な万能なものではないですよ。

この辺りの話は色々と長くなるので機会を改めてまた書こうとは思います。

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